今から約20年前、KGS(計測技術サービス)は、阪神大震災直後の1995年3月、
まだ至るところで瓦礫の撤去作業の音が響く神戸で、産声を上げた。
夢は、世界一の非破壊検査装置を作る事。
しかし、最初の仕事は、JRC社製「RCレーダ(JEJ-60B)」の修理であった。
確かに、その当時の仕事と言えば、資金も技術もなく、修理しか出来なかった。
毎日、回路図を見ながら、ハンダゴテを握る日々。
もちろん、修理だけで終わるつもりは、ない。
視線は常に、ハンダが溶けた時に出る、松ヤニの煙の先を見ていた。
本田技研の創業者である本田宗一郎。
彼の最初の事業は、自動車メーカではなく、暖簾分けで始めた
「アート商会」という自動車修理工場であった。
蒸気機関で産業革命をもたらしたジェームス・ワット。
彼は蒸気機関を発明したのではなく、当時あったトーマス・ニューコメンの蒸気機関を、
効率の良い方法に改良することで、富と名声を築いた。
そのワットが最初にしていた仕事が、トーマス・ニューコメン蒸気機関の修理であった。
開業から数年経っても、我々KGSに装置を作れる技術や設備、それに資金もなかった。
しかし、資金や設備がなくとも、代わりにハンディサーチ用のパソコンソフトなら
技術だけで作る事が出来た。
そのソフトが、現在、累計販売本数1千本を超える大ヒットになった。
あの、「RCレポートメーカ」 である 。
RCレポートメーカは、もはや、業界標準のソフトとなっていた。
それにより、非破壊検査装置のソフトのメーカとして、業界に認知され始めた。
KGSは、夢に一歩、近づいた
色々とチャンスを頂き、社員数10数名の小さな会社にも関わらず、
日本の大手企業と取引する事が出来た。
KGSは大手企業の下請けとして、またある時は、大手企業に納入する事で、
モノ作りの修業をした。
大手企業の要求される品質レベルを達成するために、時には死ぬ思いもした。
いや、実際、死にかけた事もあった。
しかしそのお蔭で、多くのことを学べる事が出来た。
KGSで最初に作った非破壊検査装置は、「アイゼンプロスぺクタ~鉄測~」である。
開発に着手した動機は、鉄筋探査において、「電磁波レーダ方式」と「電磁誘導方式」があるが、電磁誘導方式で日本製の商品がないことであった。
これだけ技術的に進んだ日本で、日本製の装置がない事に我慢が出来なかったのだ。
今回のNJJ-200は、今までのハンディサーチを何が違うか?
KGSは、企画段階からJRCとガッチリとタッグを組み、新型ハンディサーチのアイデアを出していった。それは、これまでのコンクリートレーダの枠を打ち破る、画期的なものであった。
それは、スマートフォンやタブレット端末をコントローラとする、
分離可能型と呼ばれる第三世代のコンクリートレーダである。
第一世代と言われる、アンテナとコントローラーがケーブルで接続されているタイプ。
または第二世代と言われる、コントローラーとアンテナが一体になっているタイプと比べ、
ワイヤレスでアンテナとコントローラーをつなぐ事で、大幅に利便性が向上する。
またコントローラーである、スマートフォンやタブレット端末を買換える事で、
安価で本体ハードウェアのバージョンアップが出来る。
新しい機種は、処理スピードは速くなり、液晶は更に見えやすくなり、連続使用可能時間も長くなる。
古いハードでは、どれだけソフトでバージョンアップをしても限界がある。
それに第一、その方がカッコイイ!
KGSは、この非破壊検査業界を、もっとクールで、もっとパワフルな業界にするために、貢献したいと願っている。
今回、本体制御装置のアプリもKGSが作った 。
装置メーカはJRCだが、KGSが考えるコンセプトが沢山含まれている。
自社製品と思い入れが出来る程、愛情とアイデアを、たっぷり盛り込んだ。
KGSは、また一歩、夢に近づいた。
この狭い非破壊検査業界で、空前の1千本を売り上げた「RCレポートメーカ」
その基本コンセプトは、KGSを創業する前、検査会社で働いていたときに、
「こんなものがあればなあ」と思っていた事を、形にしたものであった。
KGSは、時々、現場調査を引き受ける。
それは、現場の肌感覚を忘れないためだ。
それに条件もある。
単純な現場ではなく、難しい現場、あるいは、誰も試した事のない現場であること。
時代の先端に居続けるためには、つねに開拓者である必要がある。
開拓者に必要な資質は、経験や実績に基づいた分析力ではなく、
確固たる「根拠のない自信」に立脚した、チャレンジ精神である。
これまで非破壊検査装置以外では、
* 携帯電話のメモリーをコピーする「メモリコピーツール」
* 13個もポートがある、USB Hub
* イノシシを捕獲する檻が作動すると携帯電話に写真を送る「有害鳥獣捕獲監視装置」
* 武道の修練をするための「電脳防具、雷鳴Ψ」
などを開発してきた。
「非破壊検査」「通信」に関わる事で話があれば、なり振りかまわずチャレンジして来た。
でも正直に言えば、大怪我をしたプロジェクトもある。
しかし、、
うまく滑れるようになってから、スキーに行く人はいない。
「やった事がない」は、やれない理由にはならない。
それは、「やらない理由」でしかない。
KGSは、時々、とんでもない仕事を引き受ける。
それは、チャレンジ精神を忘れない為である。
さて次は、何に チャレンジ しようか
商号 | 株式会社計測技術サービス |
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所在地 |
【 東 京 本 社 】 【 大阪営業所 】 大阪府大阪市西区江戸堀2丁目1-1 江戸堀センタービル9階 |
創立 | 1995年 3月 |
資本金 | 1000万円 |
代表役員 | 清 良平 |
業務内容 |
電気通信機器に関する研究開発・製造及び保守サービス 電気通信機器に関するソフトウェア開発 非破壊検査機器に関する開発・製造 非破壊検査機器に関するソフトウェア開発 測定機器に関する校正・修理および開発・販売 非破壊検査機器および測定機器の短期貸出サービス 非破壊検査機器および測定機器の買取および販売 上記各号に付帯する一切の業務 |
取引銀行 | りそな銀行 本郷支店
三菱東京UFJ 銀行 春日町支店 |
決算期 | 毎年 8月 31日 |
主な取引先 |
日本無線株式会社 KDDI 株式会社 大阪ガス株式会社 東京ガス株式会社 オリックス・レンテック株式会社 日本ヒルティ株式会社 西尾レントオール株式会社 |
1995年 03月 |
資本金500 万円で、有限会社計測技術サービスを神戸市灘区に設立 |
1996年 03月 |
本社所在地を大阪市西区に移転 |
2000年 01月 |
東京営業所設立 非破壊検査装置の販売に力を入れる |
2002年 02月 |
日本無線株式会社と代理店契約を締結 |
2002年 12月 |
資本金を1000 万円に増資 |
2003年 01月 |
株式会社に組織変更し、会社を株式会社計測技術サービスとする |
2006年 04月 |
東京営業所を港区芝から水道橋に移転 |
2008年 11月 |
大阪本社を大阪市西区から大阪市福島区に移転 |
2009年03月 |
電磁誘導式鉄筋探査装置 アイゼンプロスぺクタ(EM-01)を販売開始 |
2010年 01月 |
有害鳥獣捕獲監視装置を開発、通信会社を経由して丹後地域の地方自治体へ納入 |
2011年 09月 |
東京ゲームショウに電脳防具雷鳴ψを出展 |
2011年 11月 |
JAPAN EXPO in RUSSIA(モスクワ)に電脳防具雷鳴ψを出展 |
2012年01月 |
東京営業所を文京区後楽1丁目に移転 |
2012年03月 |
EM-01の後継機である、アイゼンプロスぺクタ~鉄測~(EM-01A)の販売開始 |
2012年 04月 |
東京事務所を本社とし、大阪本社を営業所とした |